こんにちは♪店長上原です(^.^)
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秋晴れだったこの頃でしたが、今日は所々で雨模様ですね
少しずつ寒くなり、おでんや鍋が恋しくなってくるんでしょうね♪
あなたの家の味は濃い味ですか?薄味ですか?
さて、問題です!
なぜ関東の方が味が関西より濃いのか?
…結果的に、関東の濃い味は徳川家康の知恵から生まれた、
とするならば、関西の薄味は、関西人の知恵から生まれた、と言ってもいいですね
関東の味付けが濃いのはなぜ?
関西は味も色も薄いのに対し、関東は味も色も濃い…これは、そばの汁を見れば一目瞭然ともいえる。
答え
⇒関東の味が濃いのは徳川家康のせい
濃い味は徳川家康の町づくりに関係がある
食文化史研究家によれば…関東の味が濃い理由は、今から400年前の徳川家康の江戸の町づくりと関係がある、という。
そもそも江戸時代前の日本の中心は京都や大阪など関西だった。京都は、素材そのものの旨味を楽しむのが基本の「薄味文化」が発達していた。
秀吉の思惑で家康を江戸に
もともと徳川家康は、(今の静岡)三河国を治めていたが!秀吉の意向で江戸に行くことになった。
豊臣秀吉は、家康に三河の国に代わり関東一円の領地を与えた。
その頃の江戸は「未開発の湿地帯」で江戸城もボロボロだった。
秀吉は家康に新しく国づくりを行わせることで、家康の威力をそぐ、という狙いがあったらしい。
秀吉は、早速、江戸城の石垣などを運ぶ川を作るなど江戸の町の作り直しを始めた。このため労働者が全国から集まってきた。
この時、重要だったのは沢山の労働者を能率よく働かせるための食事だった。
当時は主食は玄米。一人一日1升(茶わん18杯分)。これを、より美味しくたべさせるために必要だったのが、ご飯が進むおかず。
夏場でも働き続けるため塩分不足を解消するなど、塩分補給と労働力のアップのため、味の濃いおかずが必要だった。
その時出されていたのが
・佃煮(小魚エビを醤油で煮込んだもの)
・大根の塩漬け
これらは、一般家庭の日常食になった。
味の濃いおかずのおかげで高い労働力を保つことが出来たため、そのおかげで人口6万人だった江戸の町人は100年以上経った頃には100万人になった。
精米技術も発達し、主食が玄米から白米になった。そして白米と共に江戸の町民を虜にしたのが江戸の海で取れる刺身だった。
人が増え生活排水でプランクトンが発生。それを食べに来る魚は、栄養を蓄え美味しく成長。
その為、刺身が大流行した。その刺身を美味しく食べるために開発されたのが「濃い口しょうゆ」だった。
濃い口しょうゆは、魚の生臭さを消し人々の心をつかんだ。
新鮮でおいしい魚・白米・濃い口しょうゆ、の組み合わせは「江戸前寿司」を生み出した
一度濃い味に慣れてしまうとなかなか元に戻れない。その味を代々受け継いでいて今でも関東は濃い味が残っている。
濃い口しょうゆの特徴
アミノ酸によるうま味が豊富、香りが高い、コクがある。
薄味というよりケチ味?
関西は丁稚奉公が多かった。給料の代わりに食事が出ていた。味が濃いのを出しちゃうとご飯を食べすぎるから、味を薄くしていた」という。
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